ゆいレール旭橋駅の目の前にある「まぁるいエリア」
公園にしては遊具もないし、何だろう・・・
と、近づいてみると、軽便の転車台でした。
転車台って、機関車とか鉄道をくるっと回転させるもので、そして違う方向へ走っていく。
沖縄軽便鉄道(おきなわけいべんてつどう)は、大正3年12月に那覇と与那原間が開通し、
その後、嘉手納線、糸満線と路線は続いていきました。
路線の幅が狭く、狭い土地でも走り、安価に建設できる鉄道だったようです。
与那原町は港町で、物資を運ぶ山原船が行きかっていて
その物資を載せたりと、生活や経済を支えてもいたんですね。
地元では、親しみを込めて、「けいびん」とか 「けーびん」と呼んでいました。
沖縄戦で戦火してしまったけれど、数々の資料をもとに復元した与那原駅舎。
裏手にある短めの柱は、焼け残った9本の柱です。
街中には、その頃を思い出す遺構があります。
那覇市国場の国道507号線沿い。モスバーガーの向かいあたりに残るれんが。
「赤れんが博物館」の入り口付近に展示してあった軽便の れんが(京都市舞鶴市)
県外でおきなわを発見するとテンションあがります。
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